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生き神(クマリ)人権問題:”生神女”まるで”生けにえ”、なぜ消えぬ? [国際・政治]

ネパールの首都カトマンズの谷に暮らす”ネワール”一族には、ヒンズー教の女神「タレジュ(Taleju)」の化身とされる思春期前の女の子を生き神様=クマリを一族から選出する伝統がある。9日、思春期を迎えたことで生神女を退任したマティナ・シャクヤさんに代わり、新たに3歳の実名・トリシュナ・シャキャちゃん(※画像あり)が任命された。しかし、ネパールは2008年に立憲君主制が廃止されているにもかかわらず、現代に見合わない伝統に「まるで生け贄」「教育の機会均等が奪われる」など人権活動家から非難が上がる。そこには、ネパール観光局の「生き神様クマリ」ビジネスの影が?


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ネパールの首都カトマンズで、思春期を迎えたことでマティナ・シャクヤさんが生き神(クマリ)を退任し、学校に初登校したことがヤフーニュースで大きく取り上げられていた。




日本にいると、耳にしない「生き神」と言うワード。そもそも「生き神」とは何か。

◆生き神(クマリ)とは
ネパールの首都カトマンズの谷に暮らす”ネワール”一族には、ヒンズー教の女神「タレジュ(Taleju)」の化身とされる思春期前の女の子を一族から選出する伝統がある。この選ばれた女の子が、いわば生き神(クマリ)と呼ばれる。ただ、この生き神に選ばれると、地に足を着けることが禁じられ、新居となる宮殿からの外出は、年に13回、特別な祝日のときしか許されないなど制限が強い。しかし、誰もが生き神になれるわけではなく、

◆生き神(クマリ)になれる条件とは
・ネワール族の仏教徒の僧侶・金細工師カーストのサキャの家柄に生まれること
・健康である
・すべての歯が欠けていない
・菩提樹のような身体
・牛のような睫毛
・獅子のような胸
・鹿のような脚
・アヒルのように柔らかく透き通った声
・黒い髪と目
など身体的特徴など32項目の条件を満たしている必要がある。

◆生き神(クマリ)の役割とは
こうして選ばれた生き神は絶大な力を持つとされ、幸運をもたらすとし、多くの人から信仰を集める。日常では、人々の病気の治療、願望を叶える祈願したり、預言者として役人や政府のもとを訪れ供物を受け取り、様々な予言を行ったりと忙しい。

2008年にこの生き神に選ばれたマティナ・シャクヤさんもその一人。マティナさんは3歳で親元を離れ、9年の間クマリの地位にあったが思春期の証:初潮が近づいたとして生き神を退任。以前の厚い化粧を落とし、緑色の制服に身を包んだマティナさんは他の生徒たちと同じく、カトマンズ市内にある学校に徒歩で初登校。

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(出典元:AFPBB

後任には、トリシュナ・シャキャちゃんが選ばれた。鮮やかな紅色のドレス(クマリの礼装)に身を包むもわずか3歳で親元を離れて、宮殿で暮らすことになる。これは、新しく生き神になった女児とその家族は王族と同等の扱いを受け、人格化、女神として生きていく必要があるためだ。

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また、生き神は一般的な子どもたちとは隔離される。人間ではなくなるため女神としての人生が終わるまでの期間は「地面に足をつけてはならない」などのしきたりがある。過去、自身も5歳から15歳まで生き神として生きてきた女性は、そのことについて下記のように語る。

『5歳でパタンのクマリになり、自分の足で歩くことは許されなかった。私の青春の全てはクマリに捧げられた。しかし私の人生は祝福されたものだと考えています。15歳で引退した私は、歩くことが出来なかった。家の近所の地理すらも分からず、友達もいなかった。外の世界は全て未知のものだった。普通の世界に戻る事は非常に大変でした。現在はカトマンズ大学にてビジネス学を専攻している大学生であり、将来は銀行員になりたいと考えている』

(引用元:http://yaplog.jp/ar125/archive/5411


この女性が語るように、その身体や精神はすべて生き神に捧げられる。
・15歳になっても歩くことはできず
・家の近所の地理すらもわからず
・友達もいない
・学業にも遅れが生じる

伝統はネパールの王室と歴史的に密接なつながりを持っているが、2008年に立憲君主制が廃止された後も続けられていて、教育の機会均等など問題が山積、人権活動家からは非難の声が上がっている。それにもかかわらずこの伝統は消えない。

世間からは、
本人はおそらく望んでも居なかっただろうクマリという重大な責務を見事果たした子供の未来に祝福がないなんて、どういうシステムなんだろうか。 この先も幼い少女の犠牲を求めようとするのなら、そこは大人たちが宗教として何とかしなさいよ。


おかしな人生になりそう、、。現代では迷惑な話だ、。


ネパールの文化・伝統の根幹をなす部分だから簡単に虐待!禁止!と言ってはいけない。しかしせめて、今後の人生の保障はしっかりとしてあげてほしい。


「生き神」と言われたら響きはいいけど、これは考えようによっては児童虐待にあたるとも思う。


その間家族とは会えないの?


これって、一種の虐待でしょう


など、日本人からすれば、ネパールの伝統は解せぬもののよう。
それはまるで”生神女”ならぬ”生け贄”であるかのように。2006年にはネパールの最高裁でクマリのこうした伝統は人権侵害に当たるとして政府に対して調査を命じた。

2008年8月18日 最高裁がクマリの人権について下した判決によると、

「クマリが,子供の権利条約の保障する子供の権利を否定されるべき根拠は,歴史的文書にも宗教的文書にもない」


としてクマリには他の子供たちと同様の教育の自由,行動の自由,食事の自由などが認められるべきだと言う風潮が国内でも起こっている。それでも伝統が消えない理由は、クマリで稼ぐ「生き神様クマリ」ビジネスにネパーツ観光局が手を引けぬ状況にあるのではないかと見られている。
(参考元:https://nepalreview.wordpress.com/2008/08/19/a-228/

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